Krasznahorkai László
先日買ったクラスナホルカイ・ラースローの『北は山、南は湖、西は道、東は川』
ハンガリー作家の本を買ったのはたぶんこれが初めて。
(出ている本はたぶんすべて買ったKristóf Ágota/アゴタ・クリストフはハンガリー出身ではあるけれど、スイスに亡命後フランス語で書かれた一連の作品を果たしてハンガリー文学と呼ぶべきかどうか迷うところ。)

訳者の早稲田みかさんのあとがきによれば「クラスナホルカイ・ラースローは、現代ハンガリー文学を代表する最も重要な作家のひとり」であり、「作品の特徴は、まずその特異な文体にある。ひとつの文が長々と、ときには数ページにわたって、うねるようにどこまでも持続していく」のだそうで、おまけにこの作品はいきなり第2章から始まっていたりする。(最初、落丁かと思った。)




たとえば、

南へ、正確には京都から南東の方向へとやって来たわけだが、そこを出発点として、迷路のような細い小路を、左へ曲がってはまっすぐな道に戻り、それからまた左へと進むうちに、ついにはしごく当然のなりゆきとしてすっかり道に迷ってしまったというのに、立ち止まることもせず、道を聞いたり尋ねたりすることもせず、曲がり角でもどちらに行こうかと考えこむことも躊躇することもなく、そのままどんどん歩き続けていったのは、探しているものはかならず見つかると何かがささやきかえていたからにほかならず、人気のない通り、扉を閉ざした商店、どこかで祭りか、さもなくば災厄でも起きたのか、町は死んだように静まりかえり、道を聞こうにも聞く相手のいないことにようやく気づいたものの、ここから遠く離れた別の場所から見るならば、こんな小さな地区のことを気にとめる者など誰ひとりとしているはずもなく、ここにいた人たちはみなひとり残らずどこかに行ってしまい、こうした陽光ふりそそず静寂そのものの昼近い時間にはよくみられる、あのどこからか逃げ出してきたような子供や菓子売りの姿もなく、さらには窓格子の背後でじっと様子をうかがっていた人がふいに頭をひっこめる気配とてなく、ここには自分ひとりしかいないのだと納得すると、左へ曲がり、それからまたまっすぐ進んでいくうちに、あるとき自分が高いところに向かって上っていること、左に曲がったりまっすぐに進んだりしてきた道が明らかに高方へと向かっていることにはたと気づいたが、それ以上のこと、つまり、ここから坂が始まったのだとか、あそこから上り坂になったのだ、などということはできず、ただ明瞭なある感覚、自分を含めたすべてのものが、少しずつ高くなりつつあるという感覚があるだけだった。

(クラスナホルカイ・ラースロー著、早稲田みか訳
『北は山、南は湖、西は道、東は川』 松籟社刊)


これで1つの文章。
読んでいるだけで、文章の中で自分が迷子になってしまうような気さえ起こさせる文章。
(それを狙った文章ともいえるけど。)
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by bramble | 2007-02-10 02:17 | 読む
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