Kristóf Ágota
アゴタ・クリストフとして知られている作家は出身地ハンガリーではクリシュトーフ・アーゴタなのだった。

土曜日、ハンガリー語教室のあと伸びすぎた髪を切りに下北沢へ。
早めに着いたので書店に行って、やっと探していたアゴタ・クリストフの『ふたりの証拠』を見つける。これで『第三の嘘』も読めるぞと嬉々として購入。

ついでにデュ・モーリアの短編集『鳥』を買う。
『レベッカ』は映画で知っていたけれど(たしか「昨日、マンダレイの夢をみた...」というような主人公のナレーションで始まるのではなかったっけ)、原作は読んだことがなく、デュ・モーリアの名前とも結びついていなかったしまして彼女(だということも知らなかった)の名前がダフネであることも知らなかった。
『レベッカ』も『鳥』もヒッチコックが映画化していたのね。
ということでちょっと面白そうかなと思っての衝動買い。
(本に関しては衝動買いじゃないことの方が少ないかも。)

『ふたりの証拠』はあっという間に読み終えてしまった。
固有名詞が一切登場しない『悪童日記』とはだいぶ趣を異にする表現になっているけれど、双子が分かれてからのその後を描くことで登場人物へのアゴタ・クリストフ自身の投影はいっそう色濃くなっているように思う。
1956年のハンガリー動乱の際に祖国ハンガリーを捨ててスイスに亡命。
本を読んだり文章を書いたりするのが好きな人間がいきなり知らない言葉の中に投げ込まれる。たとえ亡命自体は本人の選択だったにせよ、言葉においては投げ「こまれた」といって言いと思う。(彼女の自伝のタイトル『文盲』から考えても間違ってはいないと思う。)

まるでふたりでひとりであるかのように親密な関係にある双子。
それが国境のこちら側と向こう側に引き裂かれたということはそのままクリストフ自身がふたつに引き裂かれているようだ。自分の祖国、自分の言葉から引き裂かれるその痛み。
祖国にとどまっていたらそのままどうなっていただろうと考えずにはいられなかっただろうし、かといって祖国に留まっていたからといって生活は楽でも幸せでもなかっただろう。亡命先での生活もまた楽ではなかったはずだ。
年月を経て、再会してももはやふたりに共有できるものはなく、祖国に戻ってもそこに自分の残してきたものを再び見出すことはない。
『ふたりの証拠』と『第三の嘘』、そのどちらにも絶望ともとれる灰色の空気が流れている。
亡命先にも祖国にも、自分のいるべき場所がない。
(そう、『第三の嘘』もあっという間に読み終えたのだった。)

私はクリストフの作品が好きだ。なにか非常にひきつけられるものがあるから。
作品そのものというよりはクリストフが何を伝えようとしているのだろうと考えずにはいられないところが。

それにしても、『ふたりの証拠』の帯に書かれている煽り文句はいただけない。
必読!読書界に感動の嵐を巻き起こした『悪童日記』奇跡の三部作
私がひねくれているのかもしれないが、「感動」と書かれているのを読むだけで読みたいという気力が萎えるのだ。そこに「奇跡」なんていう言葉が付け加えられた日には、である。

映画や本が「感動」されているだけで「そう簡単に感動するものか」と思ってしまう...私はやっぱりへそ曲がりなんだろうなと思う。
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by bramble | 2006-07-04 01:20 | 読む
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