複数の本を同時に読む。
『ダライ・ラマ自伝』では中国解放軍がラサに侵攻してきてしまったし、『11分間』の中では主人公マリーアが画家と運命的な出会いを遂げてしまったし。



マリーアの日記から。

 恋の情熱に駆られた人は、食べることも眠ることも働くことも落ち着いていることもできなくなってしまう。多くの人がそれを恐れるのは、ひとたびそれがあらわれると、通り道にある昔からのものすべてを突き飛ばして進行するからだ。
 自分の世界の秩序を壊したい人は誰もいない。だから多くの人はこの脅威を抑えこみ、すでに腐ってしまっている家や構造物が崩壊しないようにする。彼らは荒廃したものごとを守るエンジニアなのだ。
 それとは正反対のことを考える人もいる───迷うことなく飛びこみ、熱情の中にこそ、自分のすべての問題に対する解答を見つけられるものと期待する。彼らは相手の人に、自分の幸福の責任のすべて、不幸になった場合の非をすべて負わせてしまう。彼らはいつでも、何か素晴らしいことが起こったから歓喜に満ちているか、予期していなかった何かがすべてを台無しにしてしまったので悲嘆にくれているか、どっちかである。
 熱情を避けて通るべきか、それとも、それに盲目的に身を任せるか───破壊的でないのは、このどちらの態度なのだろうか?
 私にはわからない。
(角川文庫 パウロ・コエーリョ『11分間』 旦 敬介訳)


マリーアはすでに恋の、或いは愛の、哲学者である。
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by bramble | 2006-04-16 01:59 | 読む
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