インディアン保留地のカジノ。
今度の日曜日からその次の日曜日まで米国出張。
私の出張は欧州だろうと米国だろうと、ほとんど都会とは無縁で、要するに地方都市...いや、田舎めぐりといった感じになる。

今回はルイジアナ、ミシシッピ、アーカンソーの3つの州をまわるのだけれど、2日目の宿泊先の名前はなんとGolden Moon Hotel & Casinos。
そう、カジノ、である。

訪れるPという街はとても小さくて(ということはあまり宿泊施設もないってことだ)、結局インディアン保留地 Indian Reservationにあるカジノ付きホテルになりました、と一緒にまわる取引先から連絡があった。

インディアン保留地といって思い出すのはローラ・インガルスの話と、本田勝一の『アメリカ合州国』という本。

新しい土地やってきて、苦労して開墾し、苦労して建てた家。
それが実は政府の定めたインディアン保留地だということが判明する。追い立てられるよりは自分から出て行こうという父さんに従って、せっかく築き上げたものを後にしなくてはならなかったインガルス一家の話。

本田勝一はまた極端にして過激だけれど、学生の頃だったか何冊も読んだことがあった。
アメリカは英語ではUnited States (=州) of Americaなのに、なぜそれを合『衆』国とするのか。
そんな問いかけで始まる本だったように記憶している。
有色人種を差別するのにあたかも民衆のための理想的な国であるかのような表記が本田氏には気に入らなかったらしい。
その本の中で、先住民であるインディアンがいかに不毛な地ばかりを「保留地」という名前のもとに押し付けられてきたのかが書かれていたように思う。車を走らせて、木もろくに生えていないような乾いた荒地に入ればそれがインディアン保留地に入ったという印で、また豊かな土地が現れればそれがインディアン保留地を出たということだ、といったような内容ではなかったかと思う。

それまで移住生活をしていたにせよ、定住生活をしていたにせよ、どんな政治的な背景があるにしても、不毛な地を押し付けられたことに変わりはない。
そこで生きて暮らしていくためにはカジノのような収入源が不可欠なのだろうと思う。

インディアン保留地+カジノというキーワードで検索をしてみたら、こんな記事をみつけた。
JDL西海岸もの+がたり 第8回インディアン・カジノをめぐる風景



More on America

アメリカという国は巨大な田舎、というのが私の持論。
(都会ももちろんあるけど、全体に比べたらほんのちょっとだ。)
どんなにまわりに美しい自然があっても、なんとなく人工的に作られたという感を免れない...と思ってしまうのは私だけか。
日本とヨーロッパ以外はあんまり知らないのだけれど、どちらでも田舎に行くと当たり前なのだけれど自然なのだ。
人が住み着いて、道ができて、集落がやがて村になり町になり...
そのまままた人口が減って寂れてしまったり、1日にバスが2本しかないという僻地もあったりするけれど、でも「最初に人ありき」なのだ。

アメリカの片田舎の寂れた町。道路だけは立派。
道路が先に出来て、そこにいきなりぽこっと町をくっつけたような。
車がなければどこにも行けない。
道路はといえば、歩道なんて町の中心にしかない。
まわりはだだっ広いにもかかわらず、私にはものすごい閉塞感しか感じられない。
苦しいとさえ思ってしまう。

もちろん、そこに生まれ育ったり、または実際にそこに暮らしてみれば、また違った感想を持つだろうし、住まなければわからない良さもあるのではないかと思う。
カリフォルニア州の田舎の、乾いた土地に延々と続くオレンジ畑や胡桃の木の果樹園を眺めながらそう思った。

それでも、この奇妙な閉塞感はどこから来るのだろうと思う。
以前飛行機の中でみたナイト・シャマラン監督の映画「ヴィレッジ」。
その結末はえええ?と思うようなものだったけれども、そんなことが起こるのも当然と思わせる何かがアメリカという国にはある。
あの閉塞感とこの映画に描かれるもの、未だに禁書が存在するということ、ブッシュ大統領を大多数が支持するという不気味さ、先進国で唯一平均収入が下降線を辿る一方でAmerica as No.1と信じて疑わない人々、こういったものは深く関係しているに違いないと思う。

もちろん、アメリカがすべてこういうものであるとは思わないし、アメリカならではのそれこそ「善きアメリカ人」とはこういう人々かと思わせてくれる友人もいる。

ふだん私たちがテレビなどのメディアを通じて見ている(と思っている)アメリカは例外的な都会だ。
それとは全く違った一面もある、ということ。
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by bramble | 2006-02-02 22:32 | 旅する
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